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『Declarations』が描く米独立革命と黒人たちの自由への道
2026年10月25日
PBSのドキュメンタリーは、ハリー・ワシントン、ジェームズ・ラファイエット、エリザベス・フリーマン、エイブラハム・スキップウィズの歩みから、独立革命期の自由の意味を問い直す。
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ハリー・ワシントンはジョージ・ワシントンの農園から逃れ、英国側についた。一方、同じくバージニアで奴隷にされていたジェームズ・ラファイエットは、ワシントン率いる側のために諜報活動を行った。平等な権利を掲げる戦争のなかで、二人は異なる道から自由を求めた。『Declarations: Black Americans and the Revolutionary War』が問うのは、奴隷制の下に置かれた人々にとって独立とは何だったのか、ということだ。
VPMがPBS向けに制作し、ステイシー・L・ホルマンが監督したこの作品は、エリザベス・フリーマンとエイブラハム・ペイトン・スキップウィズの人生もたどる。四人を建国者の物語の脇役として扱わない。逃亡、諜報、訴訟、自由の買い取り。戦争が生んだ限られた機会に、それぞれが自らの方法で働きかけた。戦争が終わっても、その願いが一様に実現したわけではない。
作品には18世紀の記録映像ではない再現表現も含まれる。画家ハドソン・キャンベルが描いた肖像画を人工知能の技術で動かしたもので、映像の中では不規則な黒い枠によって区別されている。
英国側へ逃れたハリー・ワシントン
1775年、バージニアの英国総督ダンモア卿は、反乱側の所有者に奴隷として拘束されていた人々に対し、英国軍への参加を条件に自由を約束した。兵力を得るための限定的な申し出であり、奴隷制そのものの廃止を意味しなかった。マウントバーノンでジョージ・ワシントンに奴隷とされていたハリーは、この機会を使って逃亡し、英国側で活動した。
英国の敗北後も、彼の歩みは続く。1783年にほかの黒人避難民とともにニューヨークからノバスコシアへ渡り、その後はシエラレオネへ移った。そこでは植民地当局の課税をめぐって、命がけで得た権利が再び争点となる。作品が描く抗議活動は、奴隷制から抜け出すことと、安定した生活や自治を得ることが別の問題だったと示す。
ヨークタウンに貢献しても自由になれなかったジェームズ
当時ジェームズ・アーミステッドと呼ばれていた彼は、米軍側の同盟者ラファイエット侯爵のために諜報活動をした。英国軍の将校たちの信頼を得て、バージニアでの戦役中に情報を米軍側へ伝えた。ドキュメンタリーは、その情報を1781年のヨークタウンにおける英国軍降伏へつながる作戦と結びつける。
しかし終戦後、ジェームズは再び奴隷の身となった。軍務を理由にしたバージニアの解放制度は、兵士ではなくスパイとして働いた彼には適用されなかった。ラファイエット侯爵が請願を支援し、州議会が自由を認めたのは1787年のことだった。独立に貢献した人物自身の自由が後回しにされた事実が、作品の矛盾を鮮明にする。
法廷で平等を求めたエリザベス・フリーマン
マサチューセッツで「マム・ベット」と呼ばれた女性は、ジョンとハンナ・アシュリーの家で奴隷にされていた。1781年、弁護士セオドア・セジウィックの助けを得て、同じ境遇にあったブロムとともにジョン・アシュリーを訴えた。根拠としたのは、人は自由で平等に生まれるとうたう新しい州憲法だった。陪審は二人の訴えを認め、ベットはエリザベス・フリーマンと名乗るようになった。
この判決だけで州内の奴隷制が終わったわけではない。その後のクォック・ウォーカーをめぐる訴訟とともに、奴隷制は州憲法と両立しないという判断につながった。平等という言葉が法的な力を持った背景には、その適用を拒まれた人々自身の行動があった。
自由を家族の財産へ変えたエイブラハム・スキップウィズ
エイブラハム・ペイトン・スキップウィズは読み書きができ、自分を奴隷として所有する商人の店で事務を担っていた。1785年、その商人が約束した自由を認めるようバージニアの議会に請願した。しかし請願だけでは自由になれず、1789年に代金を払って解放された。その後、リッチモンドで土地を購入し、家や財産を家族に残した。妻と孫娘の自由も買い取ったが、子ども全員を解放することはできなかった。
達成と限界が並ぶこの人生が、作品の終盤を形づくる。20世紀の高速道路建設によって元の場所から移されたスキップウィズの家は、建国者中心の語りから抜け落ちていた歴史を、研究者やジャクソン・ウォードの住民が取り戻す手がかりとなる。四人の自由は宣言だけで実現したのではない。自ら行動してもなお、家族や次の世代には不自由が残り得た。